日本の英語教育で勉強する英語は果たして無意味か有用か?

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よく、日本の学校で習う英語の表現は不自然なので忘れた方がいいとか、意味がないといった話を聞きますが、本当に果たしてそうなのでしょうか?

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日本の教育現場における英語教育

確かに、自然か自然ではないかという目線でみると、日本の小中学校で教わる英語は不自然ではありますし、日常の場面であまり実用性がないものかも知れません。例えば『It is a pen.』『I have a father.』とか、ごくごく限られた場所でしか使われることはないでしょう。

というわけで、一部の書籍や英会話学校では、そうした日本の英語教育を貶める広告が使われることがあります。いわく、こんな勉強に意味はない、いわく、本当に自然な英語を勉強しよう、とのことです。

さて、私の意見ですが、私は少なからず日本の英語教育の方針は有用だと思います(講師の質の問題はおいておき、あくまでカリキュラムの問題です)。まず、我々は環境立国でもないですし、英語が話せないとビジネスが成り立たない国に住んでいるわけでもありません。ましてや、ドイツやオランダのように英語に構造の近い母国語を持っているわけではないので、彼らの勉強法をまねても無駄です。ですので、求められているのは『即戦力』としての英語ではなく『言語というものの構造を一から理解する』思考方法です。

例えば、英語以外の言語を勉強するとき、この『言語の構造を知っている』ということは往々にしてアドバンテージになる可能性が高いです。主語があり、動詞があり、動詞の形が変化し、副詞や形容詞がくっつく云々・・と、これらのルールは、ラテン語圏以外の大抵の言語にも通用することです。

そして、自然か自然でないかの観点で行けば、日本の教育シーンで学習する英語は自然ではないですが、自然でなくても英語は通じます。もちろん、かっこいい英語ではありませんし、海外の会社で働くのであればそれに適した英語を少し勉強しなおす必要がありますが、少なくとも小学校、中学校の時から、文法事項を無視してまで、砕けた、かっこいい英語を勉強する必要は全くありません。

例えば、私は野球部でしたが、小さいころはまずはしっかりとしたフォームで捕球したり、送球したり、あるいはバッティングする練習を行いました。もちろん、これらはテレビでみるようなかっこいいジャンピングしながらの送球ではありませんし、一本足を上げてのバッティングでもありません。それらは、少なからず『基礎』の延長線上にあるもので、基礎を無視していきなり素人がそれをおこなおうとすると、必ず痛い目を見ます。英語も同じで、かっこいい表現、砕けた表現が若いころは何か素敵なものに見えますが、そんなこと知らなくてもヨーロッパで女の子と話すことはできます。そんなことより、最低限意思疎通できるように、辞書なしで1時間スモールトークができるスキルを磨いた方がよっぽどましです。

日本の英語教育における難点

別に私は専門家ではないので、あくまで私がこの年になって他の言語を学んで感じた日本の英語教育の難点を指摘します。

1.講師の実力が伴っていない

最近どこかの記事で英検準一級が義務付けられたと読んだ気がしますが、何をいまさら、という気もします。批判を承知でいいますが、私は日本の教育システムそのものに不満はありませんが、こうしたレベルの低さには納得できかねないところがあります。指導者の能力は、いわば教育を受けるものの上限であるとも思っています。仮にTOEIC800点の講師だとしたら、そこで学ぶ子供の英語力の上限はTOEIC800点に留まってしまうでしょう。

2.実践機会が無い

学校の問題と言うよりも、これは日本社会の問題です。いや、国が閉鎖的であることに関してはもちろん人によって、政策によって考え方はまちまちですので、そこまで不満がありませんが、国際競争力という観点から見ると、当然、次世代に備えて少しずつ英語の話せる人材を育成していく必要があるとは感じています。

また、一部留学システムのような実践機会も設けられていますが、留学に行けるのは英語の話せる人です。英語の話せる人はますますチャンスを得ることができて、話せない人との差がますます開いていきます。

3. 勉強時間が足りない

どこかでも書きましたが、我々が英語をマスターするのに必要な時間は最低でも2000時間程度だと言われています。これは、現行のカリキュラムでは半分くらいまでしか達することができません。というわけで、学校以外の場で残りの1000時間を補う必要が出てきます。

日本の英語教育で足りなかった部分をどうやって補うか

さて、私は政治家でもないですし、教育学の権威でもありませんので、上述のような不平を述べたところで誰もくみ取ってはくれません。というわけで、足りないと感じた部分は自力で補っていく必要が出てきます。

上述した3点はともに、オンライン英会話を利用するなり、通学の英会話スクールに通うなりでなんとか事足りる問題ばかりです。もちろん、講師の質に疑問符がつくような会社もいくつもありますが、それ以外の部分に関しては、少なくとも義務教育で圧倒的に不足していた実践機会や、勉強時間を補うことができます。

例えば、一日25分のレッスンを毎日1年続ければ150時間の勉強量が得られます。できれば、それに予習復習をその半分の時間でも行えれば望ましいので、仮に一日の英語の勉強量を40分としましょう。1年で240時間、つまりものの4年も毎日コツコツ英語の学習を頑張れば、それだけでかなりのレベルに達することが可能になります。

4年といえばちょうど、高校を卒業して大学に通う期間と同じです。大学卒業後にインターナショナルな職種につきたい場合は、大学生活を通して英語を毎日40分ずつ勉強続けていれば、事足りる計算になります。以前もどこかで書きましたが、社会人になってしまうと、英語を勉強できる時間は圧倒的に不足してしまいます。ですので、日本の教育システムで賄えなかった部分は、できれば社会人になる前に、自ら補てんしておくことが望ましいでしょう。

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